筆者:Ms. Xuyen
幼い頃の記憶は、きっと誰の人生にとってもいちばん美しいものだろう。どれほど遠くまで時が流れても、あの無邪気な日々はまるで一本の古い映画のように心の奥に残り続ける。素朴でありながら、あたたかな愛情と笑い声に満ちている。

私の幼い頃は、透きとおるような朝の光とともにあった。窓辺から差し込むやわらかな陽ざし、庭先に響く鳥のさえずり。何の心配もなく目を覚まし、ただ早く朝ごはんを済ませて、友だちと遊びに出かけたい。小さな村の道も、空き地も、家の前の庭の片隅さえも、幼い私たちには果てしなく広い世界のように感じられた。

あの頃の遊びはどれも単純だったが、その中には尽きることのない喜びが満ちていた。夕暮れがにじみ始めるまでかくれんぼをし、足が疲れても縄跳びをやめようとはしなかった。風の吹き抜ける野原では、みんなで一緒に凧を空へ放った。凧が高く高く舞い上がるたびに、私たちは小さな奇跡に触れたかのように歓声をあげた。携帯電話もゲームもなかったあの時代、私たちは自然の中や自分たちの想像力の中にこそ、いくらでも楽しさを見つけることができたのだ。

幼い日の思い出には、慣れ親しんだ我が家のぬくもりと、家族で囲む食卓の光景も重なっている。一日中遊び回ったあと、聞き慣れた母の呼ぶ声に迎えられて家へ戻る。食卓に並ぶ料理は素朴だったが、そこにはいつも笑い声と尽きない語らいがあった。そこで私は、愛することや分かち合うこと、そして心が安らぐという感覚を少しずつ知っていった。大人になって遠くへ歩き出してからこそ、あのぬくもりの意味が、いっそう深く胸にしみてくる。

学校へ通った日々も、かけがえのない思い出のひとつだ。校庭に響く始業の鐘の音、夏になると燃えるように咲く鳳凰木、そして新しい紙の匂いが残るノートのページなどは今も色あせない印として心に刻まれている。そこには気の置けない友だちがいて、一緒に勉強し、ときには先生に注意されながらも、放課後にはまた笑い合った。

時は流れ、誰もがやがて大人になり、それぞれの夢や新しい責任を胸に抱えて歩き出していく。それでも幼い頃の記憶は、疲れたときにそっと立ち返ることのできる場所のように心のどこかに残り続ける。そこには、ほんの小さなことから生まれた喜びに満たされていた無邪気な時間が確かにあったのだと呼び醒まされる。
幼い日々は、人生を通り過ぎていく一陣の涼しい風のようなものだ。—引き留めることはできないけれど、そのやさしい感触だけはいつまでも胸に残り続ける。その後の人生でどこへ行こうとも、その記憶は心のいちばん澄んだ部分として、思い出すたびにそっとぬくもりを灯して胸をあたためてくれる。